月光荘にいりびたっていた日々
『月光荘』という名の画廊がありました。
私が今は無き銀座の『月光荘』にいりびたっていたのは、19歳~21歳頃、3年にも満たない僅かな時間がこれまで生きてきた人生の中でもっとも絵画に出会い、今ではもう見ることのできない数々の絵を直に見せて貰ったことで、絵に作者に真摯に向き合って過ごしたかけがえのない時間だったこと、今にして思えば、そんな有意義な時間を頂けたことを誰に感謝すればよいのだろうと思うほど、濃密な時を頂きました。
でも、それはとんでもないスキャンダルな事件のお陰で、積み上げてきた時間が一瞬にして吹き飛んでしまったほど、当時まだ学生から社会人になったばかりの私にとってはショッキングな出来事だったのです。
日本の美術商にして、月光荘の社長、そして、ピアニストの中村紘子さんの母上と言えば、中村曜子さん。絵に興味のない方でも『サロン・ド・クレール』を開設した女主人と言えば、あ~あの方?!とピンとくる方もいらっしゃるのではありませんか? もっともピンとくるのは、私と同世代か、マイナス10歳限度か、プラス無限歳、の話しですが、、、。
銀座月光荘ビルの地下1階には、限定会員制アートクラブ「サロン・ド・クレール」がありました。このサロン、当時は元中曽根総理大臣や、浅利慶太さん、そのひと昔前は三島由紀夫さんが出入りしていたことでも有名な場所です。在籍メンバーリストを拝見すると、当時の大手企業の社長・会長は言わずもがな、大物政治家もわんさか、あ、こんな方もいらっしゃいました、千宗室さん。
どれだけの財界人や文化人があの地下に集まり、何を語り合っていたのだろう、と驚かされると共に、それだけの人材を集めることができた中村曜子という人に、並々ならぬオーラと、僅かな疑問も感じたものでした。
私がいりびたっていたのは勿論1階です。何せしがない学生ですから。ところがある方の、好意なのか、私への興味なのかはわかりませんが、表には飾っていない沢山の絵を、行く度に見せてくださったのです。もっとも、それは中村曜子さんがいらっしゃらない時に限っていましたが。
一度だけご本人にお目にかかったことがあります。螺旋階段を下りていらした彼女は女王様のような貫録で、そんじょそこらにいるオバサマとは雲泥の差、月と鼈位の違いがあることは、学生だった私でも一目で、いや、瞬時にして理解できるほど、ただただ、オーラを感じ取ることができたのを覚えています。恐らく、人が放つオーラというものを肌で感じた初めての方だったかもしれません。
「こちらは学校帰りによくいらしてくださいます」という紹介の言葉に、
「沢山ありますからね、ゆっくりお勉強されるといいわ」
と仰ったような。私はちょっとどぎまぎして、半端ない上から目線に少しあがっていました。一銭の金も落とせない唯の学生は彼女にとっては無用な客人に過ぎなかったでしょうが、「お勉強」に込められた裏の意味を解釈しようと、私は、
「頑張ります」
と即答したものでした。何を頑張るのか、全くもって意味不明の頑張るでしたが。遠い将来、私が金を落とせる客にならないという保証はどこにもありません。もっとも、落とせる客になる、という保証もありませんでしたが。
彼女は1970年、大阪万博を機にソ連絵画を扱い始めます。1976年には財団法人国際美術協会を設立。1977年には、月光荘の斜め向かいのリッカービル3階に「東京国際美術館」を開き、ロシア絵画を常設展示。
1978年に開催された「レーピン展」は、ソ連邦文化省副大臣のポポフ氏によると、「今までこれほどのレーピンの作品が国外に持ち出され、しかも、これほど遠い旅をしたことは、かつてないこと」だったそうで。「皇女ソフィア」をはじめとする30点余りが日本に初めてお目見えした画期的な展覧会が、さほど広くはない場所で開催された、というのも驚きだったのですが、彼女がしっかり絡んでいた訳です。
そして、同時に月光荘ギャラリーで開催されたのが「海のロマン展」。
アイワゾフスキーを中心した海洋絵画の到来になったのではないでしょうか。のちにこの時の来日を第一次、以後、第二次、第三次、と呼ばれるようになりました。もっとも第二次からは既に月光荘ではなく、国立の美術館へ、バックボーンも更に大きいところへ移っていますが。
初めて出会ったアイワゾフスキーの「第九の怒涛」。衝撃的。
あの絵の前に立つと、自分も波に飲み込まれる錯覚に落ちます。嵐の海で、九番目にやってく波が一番大きく、それを乗り切ることができれば命は助かる、と言われている大波。その先には死しか感じることができず、ただ苦しかった、息ができない位に。
ところが、そのあと、数回に渡りあちこちで見てきて、見る度に、見方が変わってきていることに気が付きました。最後に見た時は、あの人たちはもしかしたら生き延びることができたのかもしれない、とさえ思える自分がいたのです。
それが、絵の不思議さかもしれません。精神状態が反映する?
これだけの絵を集めることができた月光荘の資金源、闇人脈が関与していたというのは、あながち嘘ではなかったのでしょう。ソ連のスパイ説まであったそうですから。
国際的な大事件が起こったのは1985年。ニュースにも大々的に報道され、思わず画面にかじりついて見てしまったものです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの贋作「『岩窟の聖母』の聖母の顔のための習作」を当時の額にして21臆5000万円で売り込もうとした「月光荘事件」。どこに売り込もうとしたか、世界救世教。そう、熱海にあるMOA美術館にですね。イタリアからなんと無断で持ち出したというのですから、当時の私はただただぶったまげました。結局1988年には世界救世教総長らと一緒にミラノ検察庁に起訴されています。
のちに彼女が世間から悪女と言われるようになった所以は、これだけではありません。人から預かったルノワールの絵を勝手に売却、その代金を横領した容疑で今度は東京地検に書類送検などなど、表ざたになったもの、裏で暗躍したもの数知れず?
そんな問題画廊なのですが、私の記憶に未だ鮮明に刻まれた一枚の絵があります。その、ある方に、ユトリロの線画と教えられた、そんなに大きくはない1枚の絵。でも、ユトリロには一筆書きのような線画というのもはないと思うのです。当時はひたすら書籍で、のちにネットで楽にぐぐれるようになってからも捜しました。ですが、、、ない。それより何よりタッチが違う。
むしろタッチはダ・ヴィンチのほつれ髪の女に似ていました。
丁度、ユトリロを数枚、表に出していた時に見せて貰ったものだったので、私が名前を勘違いした?
あの絵がどこに行ったのか、その前にあの絵は贋作だったのか?
贋作は人の手から手へと渡ると言われています。持っている人が落ち着かないのだそうです。
あの絵が、もし贋作だとして、、、それを誰かに売っていたとして、、、その誰かがやはり手放していたとしたら、そんな空想があの時以来、私の脳裏を掠めていきます。
テレビでダ・ヴィンチの「ほつれ髪の女」を見た時、懐かしさが湧いてきて、あ~この絵好き、という感傷に浸りました。
犠牲になったのは、知らずに関係した人間は勿論のことですが、人間だけではありません。絵画もです。欲をかいた大人たちによって、折角得た安住の場所を失ったのも、また事実です。
不謹慎なことですが、行方を知りたいと思ったものです。
表ではなく、裏にあった通路で、小さなスツールに腰掛けて、薄暗くなるまでずっと眺めていた数々のお気に入りの絵画、願わくば、収まる処に収まって、大切にされていますように。
悪意を持って故意に描かれたものでなければ、絵に罪はないのですから、、、。
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今日のお薦めのワイン
パウル・アンホイザー / ニーダーホイザー・フェルゼン・シュタイアー・リースリング・シュペートレーゼ・トロッケン 2010年
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生産者 : パウル・アンホイザー
地 域 : ドイツ > ナーエ地方
品 種 : リースリング100%
約400年の歴史のある醸造所で、現在、主流となっている辛口ドイツワインの品質向上にいち早く取り組んだパイオニア的な醸造所のひとつ。
1842年に10代目の兄弟2人がアメリカに移住し、そのひとりがあのセントルイスにあるアンホイザー・ブッシュの醸造所を設立したことは有名です。
この醸造所が発展したのは、1969年にルードルフ・アンホイザーが13代の当主になった時代で、地質や気候の恵まれている場所に畑を広げながら、リースリングの可能性についてもいち早く着目。この地方のワイン造りのパイオニアとして活躍しました。
その精神は現在のパウル・アンホイザーにも受け継がれ、世界の人々の思考の変化を感じ取り早々と辛口のドイツワインの品質向上に取り組み、ドイツワイン愛好家の間での人気を確実なものにしています。
南向きの標高130mの、鉄分を含んだ火成岩土壌。樹齢平均約50~70年ですが、このワインは70年以上の古木を含む最も古い区画から造られました。2500Lの木樽にて数ヶ月間熟成。
ミネラル感だけでなく、ふくよかで柔らかな複雑性のある味わい。魚介類との相性も抜群。
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